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【ポイント】転職者が持ち込む「他社営業秘密」の”不正流入”リスクにどう備えるか
企業の経営者・法務担当者向けの記事です。「営業秘密の漏えい」と聞くと、多くの企業は「自社からの流出」をまず想定します。しかし、近年注目されるのはその逆、すなわち転職者による他社営業秘密の持ち込み(不正流入)です。受け入れ企業も民事・刑事の双方で責任を問われ得る重大なテーマです。
本稿では、家電量販企業を舞台とした「リフォーム事業情報事件」(大阪地裁令和2年10月1日判決・平28(ワ)4029号)を題材に、企業法務・コンプライアンス担当者が押さえるべき実務対応を整理します。
1. 事件の概要
X社の元部長・山田氏(仮名)は、転職に際してリフォーム事業に関する原価・粗利などの営業秘密情報を持ち出し、競合他社であるY社(転職先)に開示しました。山田氏はY社で「スマートライフ推進部 部長」として、持ち込んだ情報をもとに販売企画を統括していました。
山田氏は刑事告訴され、懲役2年(執行猶予3年)・罰金100万円の有罪が確定。
また、X社はY社を相手に民事提訴し、不正競争防止法2条1項8号違反が認定され、使用差止と約1,815万円の損害賠償が命じられました。
2. 法的枠組み:不正競争防止法2条1項8号
本件で争点となったのは、不正競争防止法2条1項8号の「営業秘密不正開示行為が介在したことを知って、又は重大な過失により知らないで営業秘密を取得・使用・開示」したかどうか、という要件です。条文(抄)は以下のとおり:
「その営業秘密について営業秘密不正開示行為・・・であること若しくはその営業秘密について営業秘密不正開示行為が介在したことを知って、若しくは重大な過失により知らないで営業秘密を取得し、又はその取得した営業秘密を使用し、若しくは開示する行為」
3. 本件原判決の認定:Y社は「知って又は重大な過失により知らないで取得・使用」したか
裁判所は、Y社に上記要件の充足を認めました。特に次の事情が重視されています(ここが重要です)
- 山田氏が外付けHDDをY社の共有サーバへ接続し、大量データを移行していた
- 共有フォルダには原価・粗利等、性質上社外開示が許されない情報が多数保存され、部内会議で実際に使用されていた
- Y社はX社と競業関係にあり、これら情報の出所が不正であることを容易に理解できた(従業員もそのように理解)
以上から、Y社は「知って、又は重大な過失により知らないで」営業秘密を取得・使用したと判断され、2条1項8号違反が成立しました。
なおY社は刑事告訴を受けたものの、結果として起訴猶予となりました。ただ、この事件は当時(2014年頃)のもので、検察判断が比較的寛容だった可能性を示唆し、近時のコンプライアンス感覚では起訴・有罪の可能性も否定できないと考えたほうがよいでしょう(同様の指摘をするものとして、文献1参照)。
4. 実務対応:不正「流入」を防ぐ4つの柱
以下のような体制が、営業機密の不正流用を防ぐための効果的な施策と考えられます。
- 採用時の誓約書:転職者に「前職の営業秘密を持ち込まない」誓約書を提出させる。抑止力は限定的だが、防御証拠として有用。
- 社内研修:他社営業秘密の使用も違法であることを全社で周知。管理職で入社する転職者が部下を巻き込みやすい点に注意(他事例では部下にも刑事罰)。
- 社内相談・内部通報制度:転職者や既存社員が開示・使用を求められた際に、法務・知財への匿名相談や内部通報ができる体制を整備。
- 知財部門による検知:転職直後に不自然なほど優れた発明・提案が出た場合は経緯を精査し、流入の疑いがあれば実施を差し止める。
特に重要なのが、内部通報です。こういった企業内でのコンプライアンス違反事例は多く場合、誠実で規範意識の高い従業員や役員が問題を適切に提起でき、内部での自浄作用を働かせることで、問題が大きくなる前に適切に対処をすることができます。他方で、そういった「声」を拾い上げることができず、あるいは、形式的に対応をしてもそれが不十分なものであった場合には、外部通報につながることがあります。
コンプライアンス違反行為に対して、その通報者保護を含めて、企業が一貫した体制、方針をとっていることをつねづね周知し、ひとつひとつの対応が企業のコンプライアンス体制を決定づけていく重要なものだという認識をもって、対応にあたることが肝要です。もちろん、平時の体制づくりから、顧問弁護士などに依頼して法的援助を受けることが望ましいです。
5. バランス感覚:過剰反応を避け、一般的スキルの活用を妨げない
防止策の徹底が転職者の萎縮を招かないよう、業界で一般的な知識・技能・経験は営業秘密に当たらないことを踏まえ、適法なノウハウ活用は歓迎すべきです。
6. まとめ ― 「流出防止」から「流入防止」へ
営業秘密管理の次の焦点は、「流出防止」だけでなく「流入防止」です。転職者が持ち込む情報を安易に使用すれば、企業自らが刑事罰や損害賠償のリスクを負います。採用・教育・相談体制・知財連携を三位一体で整え、「他社秘密に触れない企業文化」を醸成しましょう。
参考文献
- 石本貴幸「転職者が持ち込んだ他社営業秘密を使用することによる侵害リスク」『パテント』Vol.78 No.11(2025年)
- 大阪地方裁判所令和2年10月1日判決・平成28年(ワ)第4029号(リフォーム事業情報事件)
- 株式会社エディオン「上新電機株式会社等による営業秘密の不正使用に対する民事提訴の判決に関するお知らせ」(2020年10月1日)
- 経済産業省知的財産政策室編『逐条解説 不正競争防止法[第3版]』(商事法務、2024年)
執筆日:2025年10月30日